華厳宗の開祖や教えとは?修行や葬儀の方法についても紹介

カテゴリー 宗教

長い歴史を持つ仏教には、同じ釈迦の教えを基本としつつも、多様な宗派が存在します。その宗派の一つである華厳宗は、インドで伝えられてきた経典をまとめた「華厳経」を基にして唐の時代の中国で生まれたもので、哲学的な思索、思想に重点をおいていることが特徴です。本記事では、華厳経の宗祖や歴史、その世界観などについて解説します。

大本山が東大寺、本尊が奈良の大仏である華厳宗とは?

華厳宗とは、衆生(生きとし生けるすべてのもの)を、釈迦の教えによって救済しようと言う「大乗仏教」に含まれる仏教の宗派で、その基となっている仏典は「大方広仏華厳経」、つまり華厳経です。日本での華厳宗の歴史は、唐で華厳経を学んだ審祥(しんじょう)という僧を、奈良の高名な僧である良弁(ろうべん)が金鐘寺というお寺に招いたことから始まったとされています。金鐘寺は、仏教を深く信仰していた聖武天皇が、夭折した皇子の菩提を弔うために建てたもので、審祥はここで3年間、華厳経の講義を行いました。

その後、聖武天皇は仏教により日本の国内を安定させることを考え「国分寺建立の詔」を出すのですが、このとき金鐘寺を総国分寺と定め、名前も金光明寺と改めます。さらに華厳経に感銘を受けた聖武天皇は、華厳経の象徴的存在である「盧舎那仏」を大仏として金光明寺に建立することを決めました。

民衆に人気のあった僧、行基の協力を得て建立が始まり、その頃から、金光明寺は東大寺と呼ばれるようになったのです。こうして、聖武天皇の庇護を受けた華厳宗は、奈良時代から平安時代の初期にかけて日本国中で盛んに学ばれました。それからいくつもの時代を経た今も、東大寺は華厳宗の総本山として健在であり、その本尊である盧舎那仏は「奈良の大仏」として親しまれています。

華厳経の特徴

華厳宗の基礎である華厳経は、初めからひとつの経典であったわけではなく、仏教が誕生した国であるインドに伝わっていた、いくつもの経典をまとめるという形で編まれたものと考えられています。そのまとめられた経典のうち「十地経」について、南アジアの僧で学者出身の世親が解説書「十地経論」を書き、ここから地論宗が生まれました。地論宗はさらに北道派と南道派に分かれるのですが、中国の僧、杜順(とじゅん)が南道派の思想を基にして興したのが華厳宗だとされています。

華厳宗が独立した宗派となるまでに複雑な経緯を辿ることになったのは、華厳経の内容が非常に難解だったためです。隋の次代の僧、智儼(ちぎ)は、華厳経は釈迦が得た悟りについて、そのまま書き綴ったものであると述べています。つまり、高度な教えに対し、解釈が一切加えられていないので、それをどう理解するかが難しいと言うことなのです。

さまざまな立場の僧が華厳経の解読に挑んだ結果、華厳宗はその成立の過程で、数多くの宗派の流れを汲むことになりました。また、長い歴史の中で密教からの影響も受け、独自の教学(宗教者の立場から、その宗教を研究、考察する学問)を発展させていったのです。

華厳宗は南都六宗の中の一派

日本の歴史において、仏教は奈良、平安、鎌倉という3つの時代に大きく興隆しました。そのうち奈良時代に興ったものを、奈良仏教と呼びます。

南都六宗とは、数多い奈良仏教の中でも代表的な六宗派を指す言葉で、華厳宗はその一派です。ただし、南部六宗という呼び名が奈良時代に存在したわけではありません。これは後の時代に、京都の平安京を北都、奈良の平城京を南都とし、平安時代に栄えた天台宗および真言宗を意味する「平安二宗」と区別する目的で付けられたものになります。

南都六宗には華厳宗のほか、三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、律宗がありましたが、半数はやがて衰退して歴史上から姿を消し、21世紀の現在でも存続しているのは華厳宗、法相宗、律宗です。

南都六宗の特徴

南都六宗の特徴は、いずれも仏教を研究する学僧の流派という要素が強いものだったという、その性格にあります。奈良の時代、仏教は国家のものであり、民衆に向かって直接仏の教えを説くことは、国家によって禁じられていました。学僧たちは国家から援助を受けて、当時最先端の学問であった仏教を学び、代わりに国家のために法要を行い、流行り病や地震、飢饉などの災厄を免れるとする祈祷を捧げたのです。この仏教により国家を守護する思想を鎮護国家と言います。こうした理由から南部六宗は、ほぼ宗教的な儀礼を持つことがありませんでした。

華厳経が伝来するまでの経緯

日本に仏教を伝えたのは中国の僧ですが、中国に仏教が広まったのは、隊商を組んでシルクロードを行き来する商人たちでした。紀元1世紀には仏教に関する記録があり、3世紀以降には、本格的にサンスクリット語の仏典が漢語に翻訳されるようにもなっています。

しかしそれは格義仏教と言い、仏教を老子、荘子の思想をもって解釈しようとするものだったのです。この状態に変革を起こしたのが、4世紀頃に西域から渡来してきた僧たちです。鳩摩羅什(くまらじゅう)は約300巻にも及ぶ経典を翻訳し、釈迦の教えが正しく伝わるよう務めました。また、仏図澄(ぶっとちょう)の弟子、釈道安(しゃくどうあん)は訳経を整理して正しい仏典の目録を作り、僧が守るべき規範を制定したのです。

このような努力の末に、格義仏教は一掃され、新たな中国仏教の流れが始まりました。そして5世紀に入ると、インドや西域から大乗仏教の経典が続々ともたらされるようになります。華厳経が伝来したのもこの頃でした。

三武一宗の廃仏から華厳宗として取り込まれる流れ

ところが、仏教が隆盛すると、税金や兵役を免れるために出家する人も増えてしまったのです。戦乱の世の為、政者にとって、これは経済、軍事の双方で大きな痛手であり、中国の皇帝は度々「廃仏」という弾圧を行いました。特に規模の大きかった廃仏は、弾圧を行った4人の皇帝に贈られた号をとって「三武一宗の廃仏」と呼ばれています。

しかし6世紀後半、北周での廃仏は、中国仏教に思いがけない結果を与えました。このときの廃仏は、真理を得るためには必ずしも出家する必要はないという「至道」の概念を根拠としていたのですが、これが現実の事象、事物はすなわち真理であるという「即事而真」(そくじにしん)の思想を生むこととなったのです。現実から目を逸らすのではなく肯定し、その中で真理を求めるというこの哲学は、密教、そして華厳宗に取り込まれていきました。

仏教の苦と解脱とは?

仏教の究極的な目標は、人間が生きていくうえでどうしても味わうことになる苦しみ、悩みから、悟りを得て解放されることです。

この苦と解脱は、古代インドの哲学書にも見られるテーマですが、仏教では釈迦が出家を決意するきっかけとなったエピソードに象徴されています。釈迦がまだ王子シッダールタであったとき、王都カピラヴァストゥの城を出ようとすると、東門では老人に、南門では病人に、西門では葬列に出会ったのです。老、病、死という人生の苦痛をつくづくと感じたシッダールタでしたが、最後に北門で修行僧を見かけ、その姿に救いを見出し、出家の意志を固めました。

性具説と性起説

釈迦が志し、そして成し遂げたように、仏教は修行によって悟りに到達するという考え方が基本です。ただし、その修行の積み方、悟りまでの道のりについては、さまざまな解釈が試みられ、手法が模索されるうちに、大きく二つの説に分かれることになりました。それが、性具説と性起説です。

性具説は、衆生はその本性に仏性も持っているものの、同時に多くの悪性を抱えているとします。一方の性起説は、衆生には生まれながらにして仏なのだが、心が弱く知恵がないために自らの本性を見出すことができないだけだとするものです。華厳宗は、人のうちに善性を見出し、理想を目指して進むことが大切なのだとして、性起説を採用しています。

華厳宗の開祖から第5祖までの五祖の特徴

宗教を興した最初の人を開祖、または宗祖と言います。華厳宗の開祖は6世紀後半から7世紀前半にかけて活動した中国の僧、杜順(とじゅん)です。杜順は半ば伝説的な人物で、民衆の病を癒すなどの奇跡を起こし、文殊菩薩(知恵を司る仏)の化身とも言われました。杜順の跡を継いだ第2祖が智儼(ちごん)です。智儼は12歳のときに、偶然自宅を訪れた杜順にその才能を見出され、我が子と呼ばれて弟子となりました。智儼はその後、華厳経と「空」の思想に繋がる「唯識」の研究を統合し、華厳教学の基礎を築いたのです。智儼の跡を継いだ第3祖の法蔵(ほうぞう)は、師匠の遺した華厳教学を大成させました。また、全80巻にわたる華厳経の梵本(サンスクリット語で書かれた本)をあらためて訳し、翻訳の不備を修正しています。

第4祖の澄観(ちょうかん)は、「四種法界」(四法界)という新たな世界の捉え方を唱えて、華厳教学を発展させました。第5祖の圭峰宗密(けいほうしゅうみつ)は、教学と禅とを一体化させるという「教禅一致」を提唱します。さらに仏教と道教、儒教の目指すものは同じであり、調和するべきだとして「三教融合」を論じました。宗祖の杜順からこの圭峰宗密まで、華厳宗を相承(師匠から弟子へ受け継ぎ続けること)した5人を、華厳宗の五祖と呼びます。華厳宗は第3祖法蔵の頃には新羅(朝鮮半島)にも伝えられ、半島の統一を果たした文武王の庇護を得て広まりました。金鐘寺(東大寺)で華厳経の講義を行った審祥も、法蔵の門下生です。

華厳宗の修行

華厳教学の中心は、第4祖の澄観が立てた「四種法界」の世界観です。「四種法界」では、世界をまず人間が普段感じている事物の世界である「事法界」と、すべては「空」(実体がない)であるとする理の世界「理法界」の二つに分けます。

そして、この二つが互いを邪魔することなく存在している状態を「理事無礙法界」、理が消え、事物のみがそこにある「事々無礙法界」とするのです。普通の人間から見れば、4つの世界はそれぞれ別々に存在しているように思います。しかし、実はすべての世界は一つであると華厳教学は説くのです。

非常に象徴的で哲学的な思想ですが、澄観は難解な華厳経を、この「四種法界」をもって解読しようと試みました。その意味するところをごく簡単に述べるとするならば、人が知り得る世界は極めて狭いのだから、自分と言う枠にとらわれず、大きな視野を持つことが必要だ、ということになります。私利私欲や偏見を捨て、無心に見つめることによって、物事のありのままの姿を見るようにする、それが華厳宗の修行なのです。

華厳宗の教え

華厳経は漢語に訳されたもので全80巻という、膨大な巻数を持つお経です。また、その内容は釈迦が得た悟りをそのままに記したものであるため、弟子による解釈の加わらない、最も純粋な教えだと言えます。華厳宗の第3祖法蔵は、華厳経について、数あるお経の中でも極めて深く、高度な内容を持つものであり、至高の教えであると判じました。華厳宗はさまざまな思想を取り込んで発展していきましたが、その基礎にあるものは常に、釈迦の悟りを説く華厳経です。

華厳宗の教えは「法界縁起」という思想を核としています。この世を支配するものは「縁起」であり、「事法界」「理法界」「理事無礙法界」「事事無礙法界」の「四種法界」は、縁起により繋がれているのです。事物はそれぞれ独立しているように見えます。しかし、実は縁起により互いに関係し、調和して存在している、だからすべての存在も出来事も実は同じものなのだという考え方です。我を捨てれば他の存在と対立することはなく、どんなものも自身のみでは存在することはありません。一切は一つであり、一つは一切である、それが華厳宗の教えなのです。

華厳宗の信者が亡くなった場合のお墓は?

華厳宗は仏教が国家の保護する学問であった奈良時代の宗派です。華厳宗の目的は華厳経を学び、研究することであり、民衆の生活に積極的に関わることはありませんでした。そのため華厳宗は、お墓やお仏壇を持ちません。

華厳宗の信者であった方が亡くなられた場合は、他の宗派のお寺にお願いして、そちらのしきたりに沿った形で埋葬し、お墓を用意するという形です。先祖供養などの法要についても、同じお寺にお任せすることになります。

華厳宗では葬儀を行なわないの?

華厳宗は仏教の宗派ではありますが、悟りについての学問という性格が強いもので、葬儀など一般に考えられるような宗教儀礼はその教義に含まれていません。逆に言えば、特に儀礼に制限がないので、どの宗派のお寺にも葬儀をお願いすることができます。

ただし、葬儀や法事・法要は、檀家にのみ行うというお寺もあることに気をつけてください。葬儀は常に急なものです。華厳宗の方が身内にいる場合は、先の供養のことも考えて、身近なお寺に確認しておきましょう。

まとめ:華厳宗は哲学思想を極めるための宗派

東大寺を総本山とする華厳宗は、至高の経典とされる華厳経を学び、理想を求めて哲学的な思想を極めることで、悟りに至ろうとする宗派です。その特殊な性格ゆえに数は少ないのですが、現代でも華厳宗の信者として、研究を続けている方は存在します。しかし、華厳宗は宗教的な儀礼を持ちません。葬儀を行い、お墓やお仏壇を用意する場合は、他の宗派のお寺へお願いする必要があることを、心得ておきましょう。

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