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大杉漣さんの葬儀・お別れの形 | ドラマ仲間に看取られ、最後まで現場者でありたいとの願い通りに。

  • 2021年05月06日

放送中のテレビドラマ「バイプレイヤーズ」に本人役で出演していた大杉漣さん。
元気に過ごしていたそのロケ先での急逝は、大きな衝撃をもたらしました。
生前のご意思で、葬儀はご家族と近親者による「家族葬」でしたが、突然の死によりご家族の「大杉に仲間を会わせてやりたい」という思いから、盛大なお別れ会が行われました。
この記事では大杉漣さんの最期や、映像とゆかりの品々に彩られたお別れ会について、詳しくご紹介しています。

大杉蓮さんのプロフィール

1951年 俳優、大杉漣 (本名:大杉孝=たかし) 徳島県生まれ。
1974年 太田省吾率いる劇団・転形劇場の研修生へ。その後、1988年まで劇団の俳優として活躍。
1980年 ピンク映画「緊縛いけにえ」で映画俳優デビュー。
1984年 周防正行監督作「変態家族 兄貴の嫁さん」へ出演。
1993年 北野武の監督作「ソナチネ」出演。この作品が転機となり、演技派として知名度が高まり、同監督「HANA-BI」で助演男優賞を受賞するなど数々の映画やドラマ、舞台で名脇役として活躍。
2003年 自伝的エッセイ「ゴンタクレが行く」刊行。
2013年 初の冠番組『大杉漣の漣ぽっ』の放送開始。
2017年 「ぐるぐるナインティナイン」の「グルメチキンレース・ゴチになります!18」にレギュラー出演。地上波バラエティ番組の初レギュラー。
2018年2月21日 急性心不全のため逝去(享年66)

突然訪れた、大杉漣さんの最期

ドラマロケ先で、俳優仲間に看取られた最期

平成30年2月18日に愛猫のことなどを自身のブログを更新して、変わらず元気な様子をみせていた大杉蓮さん。
家族によると病気もされていなかったそうです。
2月20日は、放送中だったTVドラマ「バイプレイヤーズ~もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活したら~」の千葉県ロケでした。
撮影を終えてホテルに移動し、食事後で自室に戻りましたが、ドラマの共演者田口トモロヲさん、松重豊さん、光石研さん、遠藤憲一さんたちとのLINEグループに「具合が悪い」と腹痛を訴えました。
松重豊さんが「病院、行きますか?」と返信、すぐに最寄りの病院へ向かい治療を受けてましたが、そのまま息を引き取りました。急性心不全でした。
最期は田口トモロヲさん、松重豊さん、光石研さん、遠藤憲一さんやドラマや事務所
関係者に看取られたそうです。

戸惑いと哀悼の意を表す仲間たち

急逝により、ご家族や多くの俳優仲間や関係者がその死を現実のものとして受け入れられない戸惑いと哀悼の意を、SNSやメディアへのコメントとして寄せました。

俳優の八嶋智人さんはTwitterで発信しています。
「俳優は二度死ぬという言葉を聞いた事があります。一度目は身体が、二度目は皆の記憶から消える時。
だから僕は、これからたくさん大杉漣さんのことを想ったり、話したり、観たりするんだ!
でも、今はご冥福をお祈りします。」

テレビ東京のホームページでは「バイプレイヤーズ一同」として、追悼コメントが掲載されました。
「余りにも突然のことで、メンバー一同、まだ現実を受け入れられないでいます。
『バイプレイヤーズ』という実名をさらした上でのドラマで、そのリーダーであり、精神的な支柱でもあった大杉さんが突然いなくなるという喪失感は計り知れません。
しかし最後の日まで、役者として現場に立ち、みんなを笑わせ続けていました。
永遠に我々の目標であり、憧れでもある漣さんを、一同、心から誇りに思います。
お疲れさまでした。
どうか、安らかにお休みください。漣さん、ありがとうございました」

大杉漣さんの遺志による家族葬

大杉漣さんの葬儀は、故人の遺志により「家族葬」として、家族と近親者のみで執り行われました。
詳しいことは公表されませんでしたが、平成30年2月27日に所属事務所の公式サイトで、代表で妻の弘美さんが葬儀が執り行われたことを報告。
「大杉は志半ばでありながら、駆け抜けるように逝ってしまいました。
『現場者』であり続けたいと故人が願っていた通りの最後となりました」と綴っています。

また息子の長男で写真家の隼平さんも同じ日、「最期に立ち会うこともできませんでした。
一言でもいい。ありがとうございます。を伝えたかったです」
など、葬儀を終えた心境をインスタグラムとTwitterで表していました。

ありし日の映像や愛用品で偲んだ、お別れの会

大杉漣さんの急逝から約2か月後、東京・青山葬儀所で「大杉漣 お別れの会『さらば!ゴンタクレ』」が営まれました。
「ゴンタクレ」は徳島県の言葉(阿波弁)で「ごろつき」などを指し、漣さんが2003年に自伝的エッセイのタイトルを「ゴンタクレが行く」としたことからきています。

妻の想いを込めた祭壇

大杉漣さんの祭壇は野原をイメージした草花が広がっていました。
妻・弘美さんの「風の吹く中から、大杉が立ち現れてきそう」という思いを具現化しています。
また大杉さんの師匠で、転形劇場の主宰者だった太田省吾氏の葬儀の時と同じ祭壇のイメージでもあるそうです。
中央には遺影として笑顔のスナップ。これは長男で写真家の大杉隼平さんが2016年に撮影したものです。

そして愛用のメガネや自身のサッカーチーム「鰯クラブ」のユニフォーム、熱心に応援していた地元J2チーム「ヴォルティス徳島」の年間パスなどのサッカーグッズも飾られました。
「大杉漣BAND」を組んで音楽活動も行っていた大杉さん。そのギターも置かれていました。

大杉漣さんの自撮り映像でスタート

お別れの会は、大杉漣さんが自撮りで「お仕事のセリフを覚えております」と語りながら散歩する映像から、始まりました。
田口トモロヲさんのナレーションで大杉さんの経歴紹介。続いて出演作を次々に編集した映像が流れていきます。

さらに「大杉漣BAND」のライブ映像、思い出の写真などがスクリーンに映され、最後は長男でカメラマンの大杉隼平さんが父を写した最後の写真で締めくくられました。
その最後の写真は、亡くなる1か月前の1月21日、地元・徳島県での大杉漣BANDのライブ中に父の背中を写した一枚です。

映画関係者や俳優仲間による弔辞

大杉さんから「お兄ちゃん」と慕われた、高橋伴明さんの弔辞

大杉漣さんが初めて映画出演した「緊縛いけにえ」や「光の雨」などの監督で、「お兄ちゃん」と慕われていた高橋伴明さんによる弔辞が読まれました。

「いつも何かを考え、いつも何かを見せてくれた。演出もアドリブなら演じる君もアドリブだった。楽しかったよな。陰と陽、静と動、善と悪、バカとインテリ。
大杉はどちらに振り切っても納得のできる芝居を見せてくれたけど、その中間をぬるっとすり抜けるような部分が役者・大杉漣の味じゃないかと思っている」
「大杉がもういないという事実を受け止めなければいけないという気持ちと、それを信じない気持ちがまだ俺の中で喧嘩してる。
君はもう踏ん切りは付いたのか。もしそうなら俺も踏ん切りを付けるよ。
君は一生分の仕事をした。いやそれ以上のことをやり切った。俺は大杉漣のキャスティングをあきらめる。
最後に楽しい思い出を、そして青春をありがとう」

草彅剛さん、木村佳乃さんの弔辞

ドラマ「任侠ヘルパー」などで共演した草彅剛さんの弔辞はm「そっちの生活はどうですか。漣さんのことだからもう元気にやってるでしょうね」と始まりました。
「何度も何度も心の中で問いかけるけど、あの低い声で漣さんが笑って、笑顔が残るだけなんです。本当にずるいよ。人の命は儚いですよね」と声を震わせていました。

木村佳乃さんは大杉さんを「レンレン」と呼んで慕っていて「レンレンのことが大、大、大好き。もう1回会って、大きな声でレンレンと呼びたいよ。それで、“よしよし”と呼んでもらいたかったよ」と語りました。

最後を看取った俳優仲間からの弔辞

田口トモロヲさんが代表し、「バイプレイヤーズ同士一同」として遠藤憲一さん、光石研さん、松重豊さんとの連名での弔辞もありました。
田口さんは沈痛な面持ちながらも「俳優の、人生の先輩として同じ時代を歩めた僕らは幸せでした。
漣さんが残してくれた軌跡、示してくれた豊かな人間力を決して忘れません」と気丈に語っていました。

妻による喪主挨拶

妻の弘美さんは、喪主挨拶で「大杉が何があっても大げさなことはしないでくれと言っていたので、近親者で葬儀を済ませました」と説明。
そして「大杉はタフで、疲れていてもなぜか元気でした。現場が大好きで、いろいろな人と話し、笑い合い、考えることが活力になっていました。どれだけ多くの人に支えていただいたか、言葉に尽くせません」
と参列者への感謝を述べました。

お別れの会の最後は、大杉漣BANDのメンバーによる「出航」「金色のウイスキー」の献奏で終了しました。

主な参列者

参列者は著名人や仕事の関係者が約600人以上、一般参列者が約1000人でした。
椎名桔平、生田斗真、北村一輝、笹野高史、泉ピン子、加藤茶、村上信五(関ジャニ∞)、高橋克典、黒沢清、瀬々敬久、三池崇史、塚本晋也、SABU、滝田洋二郎、長谷川博己、尾野真千子、松田龍平、村上淳、でんでん、向井理、二階堂ふみ、速水もこみち、森山良子、要潤、ユースケ・サンタマリア、川島海荷、白竜、哀川翔、八嶋智人、安田顕、名取裕子、品川徹、吉田羊、渡辺真起子、相島一之、勝矢、岸部一徳、大森南朋、斎藤工、比嘉愛未、新木優子、國村隼、水谷豊、吹越満、田口浩正、柳楽優弥、りょう、堀部圭亮、中村獅童、葉山奨之、岩松了、平岡祐太、菅野美穂、小池栄子、鈴木京香、山本耕史、稲垣吾郎、ダンカン、竹原ピストル、三宅裕司、松村邦洋、安藤なつ(メイプル超合金)、木本武宏(TKO)、浜田雅功(ダウンタウン)、古舘寛治 (敬称略 順不同)

ファン用ブースに用意された献花台

ファン用のブースでは、大杉さんが出演した舞台「象」の公演時に、楽屋にかけられていた暖簾をくぐって献花台へと向かうように設置されていました。

また新藤兼人監督作「石内尋常高等小学校 花は散れども」で制作されたフェイスマスクや「仮面ライダー」シリーズで演じた地獄大使のパネル、レギュラー出演していた「ぐるぐるナインティナイン」の「グルメチキンレース・ゴチになります!」のコーナー衣装、故郷・徳島ヴォルティスのユニフォームなど、多くのゆかりの品が置かれていました。

約1000人のファンが駆けつけ、会場の外からお別れの会を見守っていました。
会の最後には長男の隼平さんがファンのもとへ向かい、「ありがとうございます」と静かに頭を下げていました。

大杉漣さんの葬儀・お別れの形

元気な様子をブログにつづる日々、そして多くの作品出演や放送を続けるなかでの突然の急逝だった大杉漣さん。
故人のご遺志は「大げさなことはしないでくれ」ではありましたが、所属事務所代表でもある奥さまが、その死を受け入れられず戸惑うたくさんの仲間たちに「大杉を会わせてあげたい」との思いを持ち、お別れの会が催されました。
本当にたくさんの映像とゆかりの品々が用意され、参列者は大杉さんを偲び、その死を徐々に受け入れられたことでしょう。
大杉漣さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

人生の最後を考える:終活のすすめ

様々な分野で活躍し、人生を駆け抜けた著名人のお別れの形をロールモデルとして様々紹介していますが、死はいずれ誰しもに訪れることです。
ご自身や家族が突然のお別れになってしまわないとも限りません。

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