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徹底解説!律宗の宗祖・教え・特徴的な戒律・葬儀や埋葬の方法について

カテゴリー 宗教

律宗(りっしゅう)とは、唐の僧侶であった鑑真を開祖とする仏教の宗派です。奈良時代に仏教の代表的な宗派だった南都六宗の1つに数えられ、四分律(しぶんりつ)という戒律を重視しています。本記事では、開祖である鑑真やその教え、戒律を重んじる律宗の特徴などについて紹介します。

律宗とはどのような教えの宗派なの?

律宗(りっしゅう)は、奈良時代における仏教の代表的な宗派であった南都六宗の1つに数えられ、仏僧が守らなければならない生活規律である戒律を定めました。僧になるために仏門に入る場合には、受戒といって戒律を受けることになりますが、律宗の教えではこの受戒を行い、戒律を守っていくことで成仏できると説いています。律宗はその宗派の名前にもなっているとおり、読経などよりも戒律を重んじるのが特徴です。戒律の研究を日夜続けて、仏僧のあるべき姿を求めていくという学究の徒といった趣があります。

律宗は大乗仏教の宗派の1つとして中国で始まったとされています。大乗仏教は中国から日本に伝わった仏教の大本になっており、律宗に加えて、真言宗や天台宗、禅宗などもすべて大乗仏教の流れをくんでいるのです。大乗という言葉は大きな乗り物を意味し、仏僧が信仰と修行を続けることで、自分だけでなくすべての人が救われるという教えを説いています。

それに対して、小乗仏教は小さな乗り物という意味で、出家した仏僧は自分自身が悟りを開いて救われるために修行をします。僧侶以外の一般の人までも救われるという大乗仏教とはこの部分が異なるのです。

律宗の歴史と総本山

律宗が中国から日本に伝えられたのは、奈良時代の天平勝宝5年です。唐の僧侶であった鑑真が、度重なる渡航失敗にもあきらめることなく、6回目の渡航でついに来日を果たします。足かけ12年、多くの弟子を失い、自らは失明という多大な犠牲を払ってようやく来日を果たすことができた鑑真は、東大寺で受戒を行いながら5年を過ごしました。この間に、聖武上皇や称徳天皇をはじめ、多くの有力者たちに受戒を行っています。

その後、鑑真は、奈良にあった新田部親王の旧宅地を下賜されて、戒律を学びたいという人たちのための道場を開きます。その修行道場は、唐の律を学ぶための道場ということで「唐律招提」と名付けられました。あくまで鑑真の私寺として始まったこの唐律招提が、後に律宗の総本山となる唐招提寺です。

現在の唐招提寺は、1998年にユネスコの世界遺産に登録され、人気の観光地となっています。文化財としての価値は高く、境内には鑑真和上像をはじめとして、国宝や重要文化財に指定されている建造物や彫刻、絵画などを多く見ることができるでしょう。ただ、鑑真が教えを説いていた頃の唐律招提には、住居として使われていた建物を改築した経蔵と宝蔵があるのみでした。鑑真の弟子である如宝が働きかけにより、8世紀後半に金堂が建立されて現在の形となります。

律宗の宗祖と日本に伝わるまで

律宗は仏僧が守らなければならない戒律を重視する宗派です。律宗が始められた中国では、僧になりたい人は必ず戒律を授けられる必要がありました。そのための儀式を「具足戒(ぐそくかい)」といいます。この具足戒と呼ばれる受戒制度は、男性ならば250個、女性ならば348個もの戒律を授けられるのです。その決まり事には、殺生や盗みなどを禁止するものから、食事の回数や飲酒を厳しく制限するものなど、仏僧が生活するうえで実践しなければならないあらゆることが定められています。この具足戒によって僧侶の質は保たれ、それと同時に戒律の研究も進められたのです。

ところが、奈良時代の日本においては、戒律を授けることのできる僧侶がいませんでした。具足戒も厳格に守られていなかったことから、誰でも僧侶を名乗ることができたのです。こうした宗教界の状況を変えるべく、法相宗の僧侶であった普照と栄叡は、733年に行われた第9次遣唐使に随行して中国へ渡りました。普照と栄叡には、戒律を授けることのできる伝戒師を日本へ招くという目的があったのです。2人は、揚州の大明寺で住職を務めていた鑑真に日本への渡来を願いました。

普照と栄叡の要請に応じた鑑真は、命の危険がある航海を繰り返して日本へ渡ろうとします。日本への渡航は5回もの失敗に見舞われ、6回目でやっと来日を果たしました。最初の渡航計画から実に12年後のことでした。日本に帰化した鑑真は、東大寺や唐招提寺にて受戒を行い、正しい律宗のあり方を日本に伝えたのです。

律宗の経典にある四分律とは?

中国では、仏僧が日常生活で守らなければならない戒律が書かれた経典が、次々に漢語へと翻訳されました。その結果として、戒律に関する研究が進められることになります。律宗では「四分律(しぶんりつ)」という経典がとくに重視されており、僧侶になることを許される受戒は四分律の戒律に則って行われます。四大広律と呼ばれる代表的な戒律の経典には、四分律に加えて、「十誦律(じゅうじゅりつ)」と「五分律(ごぶんりつ)」、「摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)」があります。いずれも仏教においては重要な経典であり、真言宗の開祖である空海は十誦律を重視したと伝えられています。

日本の仏教界においてもっとも受け入れられたのは、律宗が重きをおいた四分律でした。四分律は、その内容が4つに分類されていることからこの名前が付けられています。男性の僧侶に対する250個の戒律と、尼僧に対する348個の戒律が収められていることで知られ、中国で漢訳された四分律の経典は60巻という分量です。中国では唐の時代に、律宗の僧侶だった道宣が四分律の教えを広め、日本においては道宣の弟子筋にあたる鑑真が、律宗の布教とともに四分律を普及させました。

律宗の教えには律や戒がある!

律宗の教えには戒律が定められており、僧はそれを守らなければなりません。他の宗派に属する仏僧も当然ながら戒律は守っていますが、律宗においては戒律を守ることが成仏につながるという教えを説いています。それだけに、律宗は戒律に重きをおいた教義を持ち、他宗派と比べると僧や信者に戒律を厳しく守らせる傾向があります。

大乗仏教の戒律である三聚浄戒が教義の基本

律宗における教義の中心になっているのは、「三聚浄戒(さんじゅじょうかい)」と呼ばれる3つの戒律です。三聚浄戒には、「摂津儀戒(しょうりつぎかい)」と「摂善法戒(しょうぜんぼうかい)」、「摂衆生戒(せつしゅじょうかい)」があります。摂津儀戒は、「戒律で定められていることをきちんと守りましょう」ということです。

摂善法戒は悟りを得るために善法を実践するという教え、摂衆生戒はすべての人が救われるための利他行を実践する教えとなっています。漢字で読むと難しい言葉のように感じてしまうかもしれませんが、どれも仏僧にとっては基本的な考え方といえるでしょう。

律宗の本尊は決まっていない?

仏教の各宗派には信仰の対象となるご本尊があります。たとえば、真言宗のご本尊は大日如来とされており、仏像の配置や仏画などには大日如来が中心に置かれるのです。ご本尊は宗派によって同じである場合と、異なる場合とがあります。

天台宗と浄土宗は同じ阿弥陀如来をご本尊に据えています。古くからの禅宗である臨済宗と曹洞宗のご本尊も、同じく釈迦如来です。キリスト教のように唯一神への信仰というわけではありませんが、あまたの神様のうちで信仰の中心を定めるのが仏教のご本尊といえるでしょう。

しかし、律宗ではご本尊が特に決まっていません。多くのご本尊があるのがその特徴となっています。

律宗の総本山である唐招提寺の金堂には、千手観音像や薬師如来像をはじめ、梵天像や帝釈天像、四天王像など多くの立像が安置されています。講堂には弥勒菩薩像や持国天像、礼堂には大日如来像と、ご本尊を中心にした配置とはまったく異なります。また、京都の律宗寺院である法金剛院に安置されているのは阿弥陀如来像です。このように、律宗ではご本尊が決まっていないため、律宗寺院への参拝者はさまざまな仏像を前にして祈りを捧げることができます。

律宗の修行の特徴

鑑真が来日する前の日本には、僧になるために戒律を授ける受戒の必要がありませんでした。普照や栄叡が鑑真に来日を請うたのも、受戒を行うことができる伝戒師を強く求めていたからです。

鑑真は受戒をして育てた弟子が4万人に及ぶなど、中国の仏教界で高い名声を得ていました。そういった経緯もあって、来日した鑑真がまず行ったのが、厳しい戒律を定めた受戒制度を設けることです。これは中国の律宗における受戒制度の流れをくんでおり、男性の僧には250個、尼僧には348個もの戒律が決められることになります。

律宗は経典よりも戒律に重点をおくのが修行の特徴であり、僧侶になりたい人はまず受戒が必要となったのです。こうして、受戒制度がなかったために誰でも僧侶となれた状況が一変しました。

律宗の戒律の内容

鑑真によって始められた日本の受戒制度ですが、律宗の戒律にはどういったものがあるのでしょうか。律宗は四分律に記されている戒律に重きをおいています。そこには、僧侶は酒を飲んではいけない、豪華な布団の上に寝てはいけないなど、日常生活のなかで守らなければならない戒律が多く含まれていました。

1日の食事の回数まで制限されているため、僧侶は生活全般にわたって戒律にもとづいた過ごし方を求められたでしょう。戒律には一般的な法律に準じたものもあります。殺傷や盗みの禁止などがそれにあたるでしょう。現代においては、律宗の戒律も以前ほどの厳しさはなくなっているといわれています。しかし、他の宗派と比較すると、僧や信者が戒律を守ることに対して厳しい態度をとっているのが特徴です。

律宗の信者のお墓は?

律宗には、そもそもお墓を用意するという考えがありません。日本で律宗が始まった奈良時代には、人の死とはけがれたものとして避けるべき対象でした。そのため、僧侶が葬儀を行う習慣もなかったのです。律宗の信者が亡くなった場合には、他の宗派の僧に葬儀を依頼することになります。遺体を埋葬する場合にも、葬儀を頼んだ宗派のしきたりに沿って行うことになるでしょう。お墓については、葬儀を取り仕切った宗派のお墓や、宗教や宗派を問わない霊園に埋葬します。

律宗の葬儀は?

身内に不幸があった場合には、普段お世話になっているお寺の住職にお願いするのが一般的です。しかし、こういった檀家制度が作られたのは江戸時代頃からといわれています。奈良時代から続く仏教の古い宗派では、戒律や経典の研究といった学問を重んじる一方で、葬儀やお墓への埋葬を行わないところもあるのです。律宗もそのうちの1つに数えられます。総本山である唐招提寺においても檀家はありません。

律宗には、葬儀や埋葬の考えがないということに驚いた人もいらっしゃるのではないでしょうか。現代を生きている私たちは、葬儀中の僧による読経や参列者のお焼香などの1つ1つの行動に、故人を成仏させるための供養としてなんらかの意味があることを知っています。そういったことが江戸時代に作られた比較的新しい文化にすぎないと聞かされても、理解がなかなか追いつかないかもしれません。律宗の信者が葬儀を希望した場合には、他の宗派の僧侶に頼むことになるでしょう。葬儀の流れとしては、依頼を受けた宗派の作法に従うことになるため事前に確認する必要があります。

まとめ

律宗は、奈良時代に鑑真によって日本に伝えられて以来、厳しい戒律とともに僧や信者たちよって教義が受け継がれてきました。鑑真は日本への渡航を5回も失敗しています。そもそも唐では国を出ることが禁止されていたため、密出国をすることになるのです。故郷で高い名声を得ている高僧が法律を破り、命の危険がともなう日本への航海に挑み続けたのはなぜでしょうか。鑑真が渡来する顛末を記した「唐大和上東征伝」には、鑑真が、日本へ行くことは仏法のためになるため命を惜しむことはないと告げる場面が描かれています。仏法のためという使命感によって自らを強く律したのでしょう。もしも、鑑真が厳しい戒律を守ることを受け入れている律宗の僧でなかったならば、日本への渡航に成功する前にあきらめていたかもしれません。

鑑真は日本に帰化してからも精力的に活動します。東大寺で有力者に戒律を授けた後は、唐招提寺にて戒律の修行道場を開くのです。律宗が戒律や経典の研究などの学問を重んじる宗派として知られているのには、こうした鑑真の態度に学んだ部分もあったのでしょう。律宗は多くの戒律を守らなければならない宗派です。しかし、そういった宗派だからこそ、日常生活で自分を律するための方法を学ぶことができるといえます。唐招提寺をはじめ、律宗寺院を訪ねることで、律宗の教義や鑑真の生涯などに少しでもふれてみましょう。

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